ご挨拶

 九州における車椅子バスケットボール競技の歴史は大変古く1960年、太陽の家の創設者である故中村裕博士の尽力により紹介され、第一回大分県身体障害者体育大会でデモンストレーションが行われ、1964年の東京パラリンピックを契機に全国へ普及して行きました。この様な経緯から同競技は九州(大分)より始まったと言う事が出来ると思います。その後、全国各地にクラブチームが誕生し1975年に全国組織としての日本車椅子バスケットボール連盟が結成されると同時に九州車椅子バスケットボール連盟も発足しました。

 国内大会における九州のクラブチームの活躍は1970年に日本選手権大会が始まって以来、1974年に太陽の家WBCが準優勝、76,77年には北九州足立クラブが2連覇を果たし以降79年まで準優勝、又1984年に再度優勝と言う輝かしい歴史を築いてまいりました、残念ながらそれ以後は本州のクラブチームに苦戦し現在に至っております。

 現在の車椅子バスケットボール競技を取り巻く環境は大きく進化し、毎年どこかの国で国際大会が開催される事となり、一部の国では既に選手、コーチのプロ化が進み、正に障害者スポーツにおけるエリート競技の1つとなっております。

 さて、今年度は4年に1度のパラリンピックがイギリス、ロンドンで8月末より開催されました。そのパラリンピック出場を賭けて昨年11月4日より韓国コーヤン市で男女の予選大会が開催されました。出場枠はアジア・オセアニア地区で男女共に2カ国となっており、男子は6カ国が参加、女子は4カ国で覇権を争いましたが非常に残念な事に日本代表女子チームが得失点差により中国に敗れ、出場権を取る事が出来ませんでした。男子も韓国との間でシーソーゲームを繰り広げ、僅か1点差でからくも出場権を得る事が出来ました。

 この数年間で世界の車椅子バスケットボールのレベルは非常に早いスピードで確実に向上しており今後、日本も強化体制の立て直し、及び見直しが必要になると思われます。

 九州に話を戻しますと、幸いな事に将来有望な数名の23歳以下のジュニア選手が活躍しており、我々連盟としても彼らの育成を中心に強化、普及を行ってまいりたいと考えております。選手の高齢化等、まだまだ色々な問題を抱えておりますが今後も皆様のご協力、ご声援を宜しくお願い致します。

九州車椅子バスケットボール連盟
会長 矢田 成昭